北海道にチャリ持っていった回2日目(20221013)
北海道2日目。今日は小樽へ行く。
宿から札駅までチャリ自走。途中大通り公園で記念写真をパシャリと。
16日より北海道新幹線の工事の関係で1番線を潰し、11番線を新たに供用開始するとのことで最終調整をしていた。
手前2つの器具箱は黄色ビニテでバッテンが付いてるので後々撤去されるのかな?
9,10番線ホームの頭上には新しく供用開始されるであろう特発がカバーを掛けられて16日を待っていた。
軌道は1〜10番線まではスラブなのに対し、11番船は親切されたからか合成枕木で作られていた。にしても大判のS地上子を未だに使ってるらしくびっくり。東京近郊ではもう見ない。
昼前のエアポートはガラガラなので課金はしない。
今更だが今回の小樽観光の目的は以下の通り
・手宮線の跡地を見る
ってことでまずは旧手宮線の跡地を散策する。手宮線についてはwikiに説明を譲るとして、大雑把に言うと日本3番めの鉄道で炭鉱で取れた石炭を輸出するため小樽まで鉄道輸送をしていた路線だが、石炭から石油への燃料移行等や採掘コスト等により輸送需要がなくなったので国鉄時代に廃線となった路線である。南小樽から分岐し小樽市街地を抜け、現在の小樽市総合博物館あたりまで線路が伸びていた。そのうち南小樽駅から線路が分岐したあたりからの路線の大部分は遊歩道として整備されており、所為バエスポットとして陽のものたくさんいるが今回の徘徊では草木に埋もれた見えない部分の現状確認をした。
手宮線に使われていたであろう用地は更地となり一部には倉庫類が建っている。
南小樽駅上を通る道路から小樽方を眺める。
南小樽駅から西行し踏切から眺める。架線柱はそのままなので1線分のスペースが有り、昔そこに線路が通っていたという事実がわかる。
次に駅小樽方の踏切へ。撤去費用の関係か踏切の前後だけ手宮線に使われていたであろう線路が残ったままになっている。踏切遮断機がなぜか手宮線であった線路の線間に設置されている。謎。
しばらく線路は3本並行したまま小樽方面へ進む。
次の踏切あたりから小樽方面を眺める。左側列車の走っている函館本線は小樽市街地に向け高架上へ上がるのに対し、地べたを走っていた手宮線はどんどん高度を下げていく。
更に小樽方にあるオーバーパスから線路を見る。手宮線だったものは完全に草木に埋もれて自然に還っている。函館本線が左に曲がり小樽市街地に向かっていくが手宮線は直進し、道路を一本超えたあたりから今は遊歩道になっている。遊歩道については記事がたくさんネットの海に溢れかえっているので省略。
南小樽駅の方へ戻り住吉神社へ。港町小樽というより坂の町小樽の通り小高い丘の上にある。本殿から参道を振り返ると非常に景色が良い。
これまたバエなのか手水舎が華で埋まっていた。
御朱印をもらったら小樽築港へチャリを漕ぐ。北海道開発局の小樽港湾事務所内にある小樽みなと資料館へ。
小樽の発展を語る上で欠かすことのできない港湾施設の歴史を学ぶことができる。あくまでも開発局の内部資料館という形のため平日しか見ることができないのが難点。専門的な展示が多いがなんとか素人でも理解できるぐらいには噛み砕いてくれている。
個人的には小樽関係ないがこの消波ブロックについての説明が一番良かった。消波ブロック=テトラポットだと思っていたのが間違っていたと理解できた。
大体1h位あれば見終わる。まだ時間があるのでここから祝津パノラマ展望台まで自転車を漕ぐ判断を下す。今思えば馬鹿だとしか…
おたる水族館まではほぼ平地なため運河横を走っているときは楽しかったが…これを見た途端絶望しか感じなくなる。
斜度16%。さすが港町小樽。天然の良港と呼ばれる明治時代に開港したところは基本的に大型船舶が入港できるような深さがあるが、それすなわち海底からそれなりの斜度で地面が陸まで伸びていること意味し、実質坂の町である。運河だけが小樽ではないのである。街中至るところにキツイ坂がある。小輪径の折りたたみ自転車には鬼門。展望台まで上がるとトド岩が見れるぞ!
どうせここまで来たのならと近くにある小樽貴賓館こと青山別邸へ。
館内は基本撮影禁止だが、庭園や入口のスペースは撮影可能。当然だが今とは違った生活様式ではあるが歴史の授業でいう平民とは異なる生活で贅の尽くし方をされていて興味深かった。
金カムの立て看板。北海道の至るところで見る。
疲れた体に鞭打って宿まで帰るか…と思っていたところ、ちょうどよく近くのバス停から小樽駅行きのバスがあるらしく。折りたたみ自転車は畳めば公共交通機関に載せられるからこういうときは非常に便利。
チャリ転がしているときに感じたけれども、運河周辺には修学旅行生っぽい集団がいてちょっと嬉しくなった。コロナで色々規制がずっと厳しいけどいい思い出を作って欲しいものだ。